東京地方裁判所 昭和38年(ワ)10281号 判決 1965年2月02日
判 決
東京都中央区京橋二丁目五番地の二
原告
株式会社山形屋海苔店
右訴訟代理人弁護士
宮田勝吉
宮田静江
同都杉並区荻窪四丁目十一番地
被告
株式会社山形屋
右訴訟代理人
小川契弐
主文
一、被告は、海苔及びその加工品の販売につき、「株式会社山形屋」の商号若しくは「山形屋」の表示を使用し、又は右商号若しくは表示を使用した商品を販売、拡布若しくは輸出してはならない。
二、被告は、昭和二十九年十月二十七日東京法務局杉並出張所においてした登記のうち、同年六月十九日、商号を「株式会社山形屋」と変更した旨の登記の抹消手続をせよ。
三、訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、被告訴訟代理人は、「原告の請求は棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする」との判決を求めた。
第二、当事者の主張
(請求の原因等)
原告訴訟代理人は、請求の原因等として、次のとおり述べた。
(原告の商号及び営業規模等)
一、原告は昭和二十三年十一月二十五日、商号を「京橋山形屋海苔店株式会社」資本金二百万円、目的を「水産品の加工及び販売、茶の販売、日用雑貨の販売並びにこれらに付帯する一切の業務」として設立されたが、海苔及びその加工品の販売に主力を注いで業績は逐年発展の一途をたどり、被告がその商号を現商号に変更した昭和二十九年六月頃には直売店を原告の肩書地本店内及び東京駅名店街に有したほか、上野及び銀度の松坂屋、浅草松屋、新宿伊勢丹、日本橋白木屋、日本食堂、横浜松屋、静岡及び名古屋の松坂屋等有名店と取引があり、一カ年の売上高は約一億八千万円に達し、当時すでに原告の営業及び商品は、「海苔の山形屋」、「山形屋の海苔」として、業界はもとより、一般消費者間に広く認識されていた。
その後原告は、昭和三十三年十一月二十四日、商号を現在の「株式会社山形屋海苔店」に変更し、現在資本金二千万円(昭和三十六年五月二十三日変更登記)、従業員約百五十名、肩書地の本店約七十四坪の店舗事務所、大阪市浪速区大国町四十三番地の大阪店鉄筋三階建延百坪、東京都渋谷区千駄ケ谷一丁目十三番地国立競技場前工場鉄筋四階建四百十二坪の各建物を所有し、別紙(一)記載の販売組織を通じて、前記工場において製造加工した焼海苔、味付海苔の自社製品を直接販売し、一カ年の販売高は約十億円に達し、海苔の小売業界においては、東京日本橋の山本と並び称せられる有名店である。
ちなみに原告が使用した広告宣伝費も、昭和二十九年には約三百二十万円、昭和三十五年には約六百五十万円、昭和三十六年五月から昭和三十八年四月までには約二千八百万円の多きに及んでいる。
(原告の沿革)
二、原告代表者窪田甚之助の先々代窪田甚之助(初代甚之助、以後後継者は甚之助と名乗る。)は、明治二十七、八年頃、当時日本橋室町にあつた山形屋海苔店の経営者窪田惚八の娘と婚姻し、原告の肩書住所京橋において「山形屋」の商号のもとに、海苔店(問屋と小売の兼業)を開業した。その頃魚河岸は、現在の中央区日本橋にあり、海産物店もその近辺に多く、国内の有力海苔業者も、同所に集中していた。明治三十三年頃には有力海苔業者十一店をもつて作られた「日本橋中央十一店会」が、全国海苔業界を牛耳つていたが、窪田甚之助の「山形屋」も、その会の一員であつた。その後「山形屋」は、着々発展を重ね、二代目窪田甚之助時代(大正八年から昭和三年まで)にはその販売海苔数は、問屋界最高、すなわち国内最高であつた。たとえば、大正十四年頃には年間二千万枚、現在の一帖金二百円の相場に換算すると、実に金四十億円の巨額に達したこともあつた。したがつて業界はもち論、需要者の間にも、「海苔の山形屋」、「山形屋の浅草海苔」(往時は、「東京名産浅草海苔」の呼称も用いていた。)として、「山形屋」の名は有名周知であつた。
二代目甚之助死亡するや、原告代表者甚之助(幼名義太郎)が襲名して三代目となつたが、未成年のため、母及びその兄弟等が家業を差配し、日支事変が始まると甚之助は出征したので引き続き母、兄弟が家業を守つてきたが、昭和十九年戦時統制令により、京京に海苔統制組合が生まれ、海苔の自由営業に終止符が打たれ、配給海苔を配給するのみとなり、日本橋の山形屋は休業状態となり、京橋の山形屋も営業縮少の止むなきに至つた。しかし当時の組合員約二百八十名中「山形屋」は販売実績の多い有力業者として、組合役員に選ばれ、留守を預つていた甚之助の伯父がこの任に当つていた。そして終戦後統制が撤廃され、自由営業が許されるや、「山形屋」は直ちに活動を再開し、(日本橋の山形屋は海苔の販売を全く廃業した)甚之助も復員して、家業の復興に努めたが、時代の進展に即応し、営業形体を法人組織とすることが有利と考えられたので、個人経営時代有名となつた「山形屋」の営業実体そのものを母体として、会社組織とした。すなわち甚之助は終戦後復員するや、直ちに家業の再建に着手し、奔走の結果、昭和二十一年八月、空襲によつて焼失した京橋の山形屋の店舗住宅跡に店舗住宅を建築した。しかして従前の山形屋の経営は、窪田一族の家産ともいうべきものを資本とし、親子兄弟その他親族の協力により維持運営されてきたものであつた。たとえば二代目甚之助の歿後は、母ゆう、ゆうの異母弟東端捨三郎及び同じく異母兄窪田亀吉が経営に参画しており、その資本も三代目甚之助の個人財産のみならず、祖父が生前前記捨三郎及び亀吉に贈与し、しかも家産が散逸して企業が弱体化することを防ぐため、これを山形屋の経営の資本として提供させ、山形屋から同人等に、賃料あるいは利益配当の名目で対価を提供していたところの財産から成り立つていた。家業の再建に着手した三代目甚之助は、このような企業の実体を生かし、会社組織とする方が将来性があると考え、母ゆう、前記東端捨三郎等と相談のうえ、昭和二十一年十月一日、資本金十万円の合資会社「山形屋窪田商店」を設立した。(無限責任社員窪田甚之助金五万円、有限責任社員東端捨三郎金一万円、同窪田ゆう及び同窪田啓次郎(甚之助弟)各金二万円)
そして個人経営時代の山形屋海苔店のもつていた営業基盤一切すなわちノレン(老舗として営業の無形の利益、仕入先、顧客に対する実績)、周知された「山形屋海苔店」「山形屋」の屋号、標章、の商標を前記合資会社が承継し、前記焼跡に建築した店舗において「山形屋海苔店」、「山形屋」として営業を再開し、業界も顧客も、旧来の「山形屋海苔店」、「山形屋」が再開されたものとして、老舗としての価値を認めてくれたのであつた。
かくして合資会社山形屋窪田商店は、「山形屋海苔店」、「山形屋」として営業を開始したが、昭和二十三年十一月に至り、漸く事業も軌道に乗り、発展の見通しもつき将来雄飛するには合資会社組織により株式会社組織の方が便利であつたので、三代目甚之助は前記東端等と計つて合資会社を解散して原告会社を設立した。その設立発起人は、右甚之助(引受株数額面金五十円株一万株)、東端捨三郎(同じく六千株)、窪田ゆう(同じく六千株)、窪田啓次郎(同じく六千株)、田島忠雄、青地泰三、平林幹一(いずれも解散時まで前記合資会社に勤務し、解散に当り、退職金の支給もなく、そのまま原告会社に勤務することになつたもの)(各三千株)であつた。原告会社は設立後直ちに営業を開始したが、主要構成員も店舗も、屋号も従前と同一であり、右発足に当り、前記合資会社山形屋窪田商店から初代窪田甚之助個人から右合資会社にかけての営業基盤一切、すなわち、ノレン、仕入先顧客筋、「山形屋海苔店」、「山形屋」の屋号、標章、の商標等を無償で承継し、業界からも、昔からの山形屋海苔店として認められたことは、個人から合資会社組織に変つた場合と全く同様であつた。
(原告使用の容器等)
三、原告の今日の隆盛は、長い伝統と厳しい品質の吟味がもたらした顧客の信頼によるものであることはいうまでもないが、さらに加えて、原告がその商品に使用する容器、外装に特段の意を用いていることも、その一因をなしている。元来、海苔製品は湿気を嫌うので、その保存には缶を用いるが、高級贈答品としての体裁のためにも、缶、化粧函、包装紙等の意匠にも留意しなければならないのであり、とくに店頭に飾る海苔缶、化粧函は、顧客の購買意欲をそそるものであるところから、原告は過去における大衆的食料品としての海苔及びその加工品の一般的概念を打ち破り、上中流階層の顧客の購買意欲をそそり、贈答品として大量購買客を獲得するため、純日本的伝統的食物を表現し、かつ原告につき老舗感を持たせるため、この種業者に見られないユニークな表装を使用した。たとえば、原告使用の缶、化粧函、包装紙は別紙(二)の一記載のとおりであるが、その意匠は商業デザイナー亀倉雄策のデザインにかかり、またこれに使用する「山形屋の焼海苔」、「山形屋の味附海苔」の製品を示す文字は書家町春草の筆になる独自のものである。
(被告の商店及び営業規模等)
四、被告は昭和二十二年十一月五日、商号を株式会社黒須商店、資本金十九万八千円、目的を茶、海苔の販売として設立された会社であるが、その前路は被告の代表者である黒須重吉が個人経営していた茶、海苔の販売店である。被告はその後、昭和二十九年六月十九日、現商号に変更し、以来この商号のほか「山形屋」の表示を使用してきたが、その後間もなく会社の目的も、茶、海苔の販売のほかこれに付帯する一切の事業に変更し、昭和三十三年九月には資本金も金三百万円となり、昭和三十五年九月には、武蔵野市吉祥寺二千五十一番地に支店を設け、杉並区西荻窪一丁目二百九番地にも店舗を開き、従業員約二十名、海苔及びその加工品、茶の小売販売卸売をしているが、主力は海苔の小売販売で売上高は少くとも金一億二千万円に達するものと推定きれる。
(被告使用の容器等)
五、被告が使用する円筒缶及び化粧函は、それぞれ別紙(二)の二記載のとおりであり、全体として「山形屋」の文字に加えるに文字の書体、色彩、構図、縁とり等により、需要者に原告の製品の缶又は化粧函ではないかと誤認混同させやすいものである。
(商号及び表示等の類似)
六、原告の商号と被告のそれとを比較するに、原告の旧商号「京橋山形屋海苔店株式会社」及び現商号「株式会社山形屋海苔店」と被告の現商号「株式会社山形屋」とはいずれも、その主要部分は、「山形屋」にあるから、被告の商号は、原告のいずれの商号とも類似であり、また原告の商品又は営業の表示としての「山形屋」と被告商号「株式会社山形屋」及びその商品又は営業の表示としての「山形屋」とは、いずれも類似又は同一である。
(商品等の混同及び利益侵害)
七、被告は前記のとおり原告の商号又は商品若しくは営業の表示と同一又は類似の商号及び表示を使用して、原告と同じく海苔の販売をしているため、被告の商品及び店舗は、原告のそれと混同を生じ、ために原告は営業上の利益を害せられるに至つたし、また今後も害せられる虞が多分にある。すなわち、原告は名実ともに業界の最高峰としての自覚と自負のもとに、品質を吟味するはもち論、防湿、意匠その他にも意を用いているところ、被告が「山形屋」の名声を利用して同一商品を販売することは、それ自体原告の営業上の利益の侵害であるばかりでなく現に顧客に商品の出所又は営業上の施設若しくは活動について混同され、原告の営業に影響を及ぼす事例が起きている。たとえば、被告の店舗と原告の新宿伊勢丹志にせ街の販売店が地理的に近いせいか、顧客が被告と原告とを同一人経営の店舗と混同し、「荻窪の山形屋の店とここでは多少値段が違うようだが、場所によつて値段を変えるのか」とか「この前荻窪の店で買つたら、海苔の味が少し落ちるがどうしたわけか」という質問を受けたり、「ここで買つてもよいが手間が省けるから荻窪に戻つて何うの店で買おう」と客が私語して通り過ぎる実例が生じている。
(被告の不正競争)
八、前記のとおり被告はもと、その商号を「株式会社黒須商店」と称していたのを「株式会社山形屋」と変更したのであるが、その変更についての合理的理由は全くなく(わずかに推測すれば、被告代表者の妻が山形県出身位なもの)、すでに著名となつていた「海苔の山形屋」、顧客のイメージとなつている「海苔は山形屋」という、その「山形屋」を不正に利用しようとしたまでのものであり、被告が右のような商号を使用するのは原告との不正競争の目的に出たものにほかならない。
(差止請求)
九、叙上のとおり、被告はすでに周知となつていた原告の商号及びその商品たることを示す表示と同一又は類似の商号及び表示を使用することにより、商品及び営業施設の混同を生じさせ、これにより原告の財産上の利益が害せられる虞を生ずるに至つたので、原告は被告に対し、不正競争防止法第一条第一、二号に基き、予備的に商法第二十条に基き、請求の趣旨掲記の判決を求める。
(被告の抗弁について)
十、被告の抗弁事実は否認する。仮に被告が主張するように、被告が、その前身である黒須重吉経営時代の海苔茶販売店狭山園の商号を、昭和二十二年四月、「山形屋」と変更してその使用を始め、爾来その営業形体を法人組織に改めたのちも引き続き、「山形屋」を商品及び営業の表示として使用していたとしてもすでに前に詳述したとおり、原告は、原告の前身である初代窪田甚之助経営の海苔店「山形屋」時代から海苔についての商品及び営業の表示として周知となつていた「山形屋」という標章を承継し、同一の商品を、同一の店舗において、同一の標章を用いて営業を継続してきたのであるから、被告が「山形屋」の表示を使用し始めた当時、海苔についての「山形屋」は、原告の前身、すなわち原告の標章として周知であつたし、また海苔業界に長年(被告の自認するところによれば、昭和十一年四月十五日から)籍を置いた被告代表取締役黒須重吉が、海苔を販売するに当り、「山形屋」の標章を用いることが、いかに有名であるかを知らないわけではなく、被告はまさに悪意の使用者である。
(答弁等)
被告訴訟代理人は、答弁者として次のとおり述べた。
一、原告主張の第一項の事実のうち、原告の設立年月日、商号、資本金、目的及び、商号の変更とその年月日、それぞれ原告主張のとおりであることは認めるが、その余は知らない。
二、同じく第二項の事実のうち、海苔の統制及び京橋の山形屋の罹災の事実は認めるが、その余は知らない。
三、同じく第三項の事実のうち、原告使用の容器(缶及び化粧函)が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は知らない。
四、同じく第四項の事実は認める。
五、同じく第五項の事実のうち、被告使用の缶及び化粧函の色彩(ただし化粧函の淡朱色はペンジユ色の誤り)構図等が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は否認する。被告使用の缶のうち、『円筒缶の本体を黒色。蓋も濃朱色。本体正面中央に「海苔」と金色の筆文字。本体裏側に「東京山形屋」の金色の筆文字』のものは、過去において約百本使用したのみで、現在使用していないし、将来使用する意思もない。
六、同じく第六項の事実は否認する。
七、同じく第七項の事実のうち、被告が原告主張の商号及び表示を使用して海苔の販売をしている事実は認めるが、その余は否認する。
八、同じく第八項の事実のうち、商号変更の事実は認めるが、その余は否認する。
九、同じく第九項の事実は争う。
十、仮に被告の商号又は「山形屋」という表示が原告の商号又は商品若しくは営業の表示としての山形屋と類似又は同一であるとしても、被告は原告の商号又は表示が周知となる以前から(古くから周知であつたのは「日本橋の山形屋」であり、「京橋の山形屋」ではなかつた。)、善意で被告の商号又は表示を使用していたものであるから、不正競争防止法第一条第一、二号の規定によりその使用等の差止を受けるいわれはなく、また被告代表者黒須重吉は、昭和十一年四月十五日から茶海苔販売の個人経営の店を開き「狭山園」の商号を使用していたが、昭和二十一年二月より義弟島崎豪男の協力を得、同月六月一日、被告肩書地に開店、昭和二十二年四月、右義弟の出身地山形県にちなんで商号を「山形屋」と変更し、同年十一月五日、商号を「株式会社黒須商店」として、被告会社を設立し、黒須重吉個人の営業を承継したところ、顧客はすでに、前記個人の商号「山形屋」に親しみ黒須重吉又は黒須商店ではなじみが薄いので、依然「山形屋」を標章として使用するとともに、昭和二十九年六月十九日(原告が現商号に変更したのは、その四年余ものちである昭和三十三年十一月二十四日である。)、その商号を「株式会社山形屋」と変更し、茶、海苔の販売その他これに付帯する一切の事業を営むことにしたものであるから原告が既登記権利者である被告に対し、すでに存在した商号登記の抹消ないしその商号の使用の差止を求めうるものではない。仮に、初代窪田甚之助から原告会社設立に至るまでの間の個人経営時代又は合資会社時代の業績が原告主張のとおりであるとしても、右個人及び合資会社と原告とは、法律上全て人格を異にし、しかも個人又は合資会社の商号、標章を原告が法律上継承した事実はないのであるから、右個人経営時代又は合資会社時代の事実をもつて、第三者である被告に対抗することは許されないものである。
第二、証拠関係≪省略≫
理由
(原告の商号等とその周知性について)
一 原告が、昭和二十三年十一月二十五日、原告主張の商号資本金、目的をもつて設立されたこと並びに昭和三十三年十一月二十四日、商号を、その後、資本金を、それぞれ原告主張のとおり変更したことは、当事者間に争いがない。
しかして、これら当事者間に争いのない事実、(証拠―省略)に本件弁論の全趣旨を綜合すると、原告会社は、その設立に当り、当時、原告会社の代表者窪田甚之助(三代目)が代表者であつた合資会社山形屋窪田商店の営業一切を事実上承継し、ただ、その形体を合資会社組織から株式会社組織に変更したにすぎないものであり、その商号とは別に、屋号ないしは営業の表示として、合資会社時代と同様、「山形屋」の標章を用い、従前と同一場所において、同一商品にその標章を表示しているものであること並びに、前記合資会社山形屋窪田商店が、設立当初から使用していた「山形屋」という標章は、その代表者窪田甚之助の先代(二代目窪田甚之助)及び先々代(初代窪田甚之助)が個人経営の海苔店の商号として、明治二十七、八年頃以来使用していたものであり、その営業の発展とともに、個人経営の時代から、海苔の販売については、すがに海苔業者及び一般需要者間に広く認識され、今日に至つたものであることを認めうべく、(中略)他にこれを左右するに足る証拠はない。
被告は、この点に関し、被告は、昭和二十二年四月頃から「山形屋」の標章を(ただし、株式会社黒須商店設立までは被告の前身である黒須重吉個人経営の営業の商号として)、善意で、使用したが、当時は、「山形屋」という標章は、原告会社のそれとして周知ではなかつたから、不正競争防止法第一条の規定により、その使用等を差し止められるいわれはない旨抗争するが、被告主張の昭和二十二年四月当時、「山形屋」という標章は、前記合資会社山形屋窪田商店の標章として、海苔の販売に関し、広く認識されていたこと及び原告は、その設立に当り、右標章を含む営業一切を、事実上承継したものであること前認定のとおりであり、このような事実関係のもとにおいては、原告は、他の要件を具備する限り、なお、不正競争防止法第一条の第一、二号の規定に基づく請求をすることができるものと解するを相当とするから、被告の右主張は、被告の使用が善意であつたかどうかを判断するまでもなく、理由がないものといわざるをえない。
また、被告は、原告会社は、窪田甚之助個人及び合資会社山形屋窪田商店とは法律上人格を異にし、しかも、それらの商号、標章等を法律上承継した事実はないのであるから、窪田甚之助個人又は合資会社時代の事実をもつて被告に対抗しえない旨主張するが、不正競争防止法の前記法条の趣旨とするところは、実質的取引通念において、一般取引者及び需要者により、商品の出所ないしは営業の主体が事実上、混同されることを防止するにあるものと解されるから、合資会社山形屋窪田商店と原告とが、法律上、人格を異にしているとか(両者が人格を異にすることは、いうまでもない。)、その間に標章等の法律上の承継がなかつたとか(法律上の承継という語自体、その意味するところ、必ずしも明確ではないが、)というようなことは、いささかも前記認定に影響を及ぼしうべきものではない。けだし、海苔及びその加工品の販売について、一般取引者及び需要者が、その商品の出所又は営業主体が個人であるか、会社であるか、会社としてどの種類の会社であるなどということに特段の注意を示し関心を寄せるとは今日の社会通念では、到底考えられないからである。
(被告の商号及び標章について)
二 被告が昭和二十二年十一月五日、商号を株式会社黒須商店、目的を茶、海苔の販売として設立されたが、昭和二十九年六月十九日、その商号を現在の「株式会社山形屋」に改め、目的も、茶海苔の販売その他これに付帯する事業と変更したこと及び被告会社は、その商品に、「株式会社山形屋」の商号、あるいは、「山形屋」の表示を使用していることは、当事者間に争いがない。
(標章等の類似性について)
三 被告の前記「株式会社山形屋」の商号及び「山形屋」の表示が、原告の使用する「山形屋」の表示と類似あるいは同一であることは、これを対比すれば、きわめて明白である。
(商品又はその営業施設等の混同について)
四 被告が、原告の商品と同一商品である海苔及びその加工品につき、前項掲記の商号を使用し、又は、表示を使用して販売する場合、それが原告の商品と一般に混同せられるべきことは、社会通念から、まことに見易いところであり、このことは、証人(省略)の証言及び原告代表者本人尋問の結果に徴しても、これを窺知するに十分である。
(財産上の損害を蒙る虞について)
五 被告が海苔及びその加工品の販売について前記商号及び表示を使用することにより、被告の商品が原告のそれと混同され、その結果、原告の営業上の利益が害される虞のあることは証人(省略)の証言、原告代表者本人尋問の結果及び本件弁論の全趣旨に徴し明らかということができる。
(商号の抹消について)
六 以上説示のとおり、本件において明らかにされた事実関係のもとにおいては、不正競争防止法第一条第一の規定に基き、海苔及びその加工品の販売につき被告の前記商号の使用禁止を求める原告の請求は、理由があるものということができるから、その使用禁止の実効あらしめるため、被告は、その使用する前記変更にかかる商号の抹消登記手続をする義務があるものと解するを相当とする。けだし、この商号を抹消するのでなければ、その使用を禁止しても、商号が商品の出所を表示するものとして使用される場合の少くない今日の取引の実情を鑑み(このような使用形体の少くないことは、社会通念上明らかである。)到底、その実際上の効果を期待しうべくもないからである。
(むすび)
七 叙上のとおり、不正競争防止法第一条第一項の規定に基き主文掲記の判決を求める原告の請求は、すべて理由があるものということができるから、これを認容することとし(したがつて、予備的請求にかかる商法第二十条の規定に基く請求については判断を省略する。)訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官三宅正雄 裁判官太田夏生 荒木恒平)